・人格を持たれた神が(ヨハネ3:16、出3:14)、目的と意図を持って「天と地を」(その間のすべてのものを)造られた(創世記1:1)。存在の意味のないものなどない。 ・山のようにそびえたつ問題を前にしても、「私の助けは天地を造られた主から来る」と告白できることを思いだそう(詩篇121:1,2、23:4)。 ・この世界はやがて崩れ去るが、「新しい天と地」が造られる。そこには死も悲しみもない(黙示録20:11、21:1-4)。今の世界とも何らかの連続性もあることが伺える(同21:24,26)。どうせ崩れ去る世界だからと投げやりになるのではなく、今の世界のために心から仕えることが大切。 ・自己や社会の存在理由が分からなくなった時、山のような問題に押しつぶされそうになった時、将来の希望が見えなくなった時に、「我は天地の造り主を信ず」と告白できる幸い。
・創世記1:1、神は「天と地(の間にあるすべてのもの)を」創造された。つまりあなたのことも。「創造した」(バーラー)は主語が神の時にしか使われない特別な動詞。神があなたを特別な思いで造ったということ。 ・27節〜28節:神の造られた世界を支配する(管理し、仕える)ために、「神のかたち」として造られた。神さまの考えを反映させて考え、神さまの判断の仕方を反映させて判断する、神の人格に似せて造られた。 ・しかし、人は罪を犯し、神の人格が損なわれた(創世記3章)。 ・霊的成長・成熟とはそこからの回復という意味。神の人格のモデルはイエスさま(コロサイ1:15)。主と同じ姿に変えられていく(IIコリント3:18)。聖霊が変えてくださる(ローマ12:2)。 ・御霊の実(ガラテヤ5:22-23)が実るよう、イエスさまと共に過ごしながら変えられていく(マタイ11:29)。 ・「信仰・教会の世界」だけでなく、世の中で生きる人格(Iヨハネ :20)。そこにいる人々もまた「神のかたち」に造られた人々。 ・主は必ずそのようにしてくださる(Iテサロニケ5:23-24)。楽しみにしていこう。
・人格的関係とは「ことばの関係」。 ・罪の起源(創世記三章)とは、神との「ことばの関係」が壊れていく様子。 ・「善悪の知識の木から食べてはならない」は意地悪な禁止命令ではなかった。自由と、それに伴う責任(responsibility責任 = response応答 + ability能力)。 ・サタンは、それとは分からない姿で近づき、神の愛を疑わせる。 ・罪(神の御心から的を外す)は、神の最高傑作である自分自身を恥じて恐れさせ(7節、10節)、神のことばに応答できずに隠れさせ(8節)、自分の責任を隠していく(12節、13節)。 ・このような状態からの救い!(エペソ2:1〜5)私たちはもう隠れる必要はない(Iヨハネ4:18、ヘブル4:16)。 ・神とのことばの関係が回復したのなら、何でも祈るべき。聖霊の満たしを求めれば与えられる!(ヨハネ12:23〜24) ・「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)私たちとことばの関係を築いてくださる主。
・「ゆるし」には二つある。「許し」(存在の許可)と「赦し」(罪の赦し)。私たちは神のかたちとして造られ 、自分を表現することを神から「許され」ている(イザヤ43:4)。 ・「存在の許し」と「罪の赦し」は対立するものではなく、表裏一体。十字架による罪の赦しが福音の中心だが、それを受け取るためにも神のかたちとしての存在の許しが大切。 ・創世記3章:神はまず「あなたはどこにいるのか」と人を探し、その後に罪を問われた(創世記3:9,15)。神は存在を受け入れ、罪を赦してくださるお方。 ・イザヤ43章:罪のさばきの文脈の中でも、「あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られる(イザヤ43:4a)。 ・ルカ7章:「罪深い女」の涙をイエスは信仰として受け止め、「あなたの罪は赦されています」と宣言された。ことばにならない祈りも、主は受け止めてくださる(ルカ7:36-50)。 • 現代社会においては、特に「存在の許し」は重要(虐待や、良い子を演じ続ける生き方などにより、自分が神のかたちに造られたことを受け入れられないでいる)。 ・大切なことは「クリスチャンらしさ」を演じることではなく、神に造られた自分自身を表現すること。 ・神に受け入れられていることを知るからこそ、罪を認める悲しみは悔い改め(十字架による罪の赦し)へと導かれる(IIコリント7:10)。 ・十字架の赦しを受けた者として、神に受け入れられていることを確認し続け、さらにイエスとの交わりを深めていこう。
・すべてが保障されている安泰な場所(自分の安全圏)から、神の召し(calling, 呼びかけ)に応えて出発したアブラハム。 ・キリストの十字架に向けた神のご計画の周到さ(私たちを何としても救おうとする決意の表れ)。 ・私たちも自分の安全圏から一歩出て、神の呼びかけに従おう。聖霊が助けてくださる。
・すべてが保障されている安泰な場所(自分の安全圏)から、神の召し(calling, 呼びかけ)に応えて出発したアブラハム。 ・なかなか先が見えない人生の旅。問題だらけの旅を経て、やっと輪郭がつかめても、それが受け入れがたい内容であることも。 ・私たちにできることは礼拝を続けること(祭壇を築くこと)。旅人として(天幕を張りながら)、天の都に目を留めつつ。
・神の約束よりも自分の判断を頼りにしたアブラム(10節)。 ・不信仰な人間を見捨てずに、ご自身の約束のために用いてくださる主(マタイ1:1)。 ・信仰の原点に戻って主の名前を呼んだアブラムのように(13:4)、私たちも。
・ロトは「目を上げて」自分に好ましいものを選んでいった(10節~11節)。 ・しかし主はアブラムに、「目を上げて」約束の地を見渡すように促す(14節)。 ・約束の地は神の国のひな型。私たちも今置かれている場で、「縦に横に歩き回」ろう。そこに神の国が広がっていく(17節)。
・逃げずに立ち向かったアブラム(13~16節)。 ・キリストのひな型とされるメルキゼデクから祝福を受け、彼に捧げものをするアブラム(18~20節)。 ・私たちも霊的なヘブル人としてアブラムに倣いたい。