■1章1節「シリーズ使徒信条②:天地の造り主を信ず」【使徒信条】2019/3/24 ・人格を持たれた神が(ヨハネ3:16、出3:14)、目的と意図を持って「天と地を」(その間のすべてのものを)造られた(創世記1:1)。存在の意味のないものなどない。 ・山のようにそびえたつ問題を前にしても、「私の助けは天地を造られた主から来る」と告白できることを思いだそう(詩篇121:1,2、23:4)。 ・この世界はやがて崩れ去るが、「新しい天と地」が造られる。そこには死も悲しみもない(黙示録20:11、21:1-4)。今の世界とも何らかの連続性もあることが伺える(同21:24,26)。どうせ崩れ去る世界だからと投げやりになるのではなく、今の世界のために心から仕えることが大切。 ・自己や社会の存在理由が分からなくなった時、山のような問題に押しつぶされそうになった時、将来の希望が見えなくなった時に、「我は天地の造り主を信ず」と告白できる幸い。
■12章1節〜4節「父の家を出て」【連続講解】2017/5/7 ・すべてが保障されている安泰な場所(自分の安全圏)から、神の召し(calling, 呼びかけ)に応えて出発したアブラハム。 ・キリストの十字架に向けた神のご計画の周到さ(私たちを何としても救おうとする決意の表れ)。 ・私たちも自分の安全圏から一歩出て、神の呼びかけに従おう。聖霊が助けてくださる。
■12章4節〜9節「祭壇と天幕と」【連続講解】2017/5/14 ・すべてが保障されている安泰な場所(自分の安全圏)から、神の召し(calling, 呼びかけ)に応えて出発したアブラハム。 ・なかなか先が見えない人生の旅。問題だらけの旅を経て、やっと輪郭がつかめても、それが受け入れがたい内容であることも。 ・私たちにできることは礼拝を続けること(祭壇を築くこと)。旅人として(天幕を張りながら)、天の都に目を留めつつ。
■12章10節〜13章4節「アブラムの失敗」【連続講解】2017/5/21 ・神の約束よりも自分の判断を頼りにしたアブラム(10節)。 ・不信仰な人間を見捨てずに、ご自身の約束のために用いてくださる主(マタイ1:1)。 ・信仰の原点に戻って主の名前を呼んだアブラムのように(13:4)、私たちも。
■13章5節〜18節「さあ、目を上げて」【連続講解】2017/6/11 ・ロトは「目を上げて」自分に好ましいものを選んでいった(10節~11節)。 ・しかし主はアブラムに、「目を上げて」約束の地を見渡すように促す(14節)。 ・約束の地は神の国のひな型。私たちも今置かれている場で、「縦に横に歩き回」ろう。そこに神の国が広がっていく(17節)。
■14章1節〜24節「ヘブル人アブラム」【連続講解】2017/6/18 ・逃げずに立ち向かったアブラム(13~16節)。 ・キリストのひな型とされるメルキゼデクから祝福を受け、彼に捧げものをするアブラム(18~20節)。 ・私たちも霊的なヘブル人としてアブラムに倣いたい。
■15章1節〜21節「あなたの受ける報い」【連続講解】2017/6/25 ・アブラムは、子孫が星のように増えるとの約束を信じ、それが「義」と認められた(6節) ・信じつつ、なおも主に確認し、主と語り合っていくのが信仰(8節)。主は「血の契約」の方法をもってその証をされた(17節)。 ・切り裂かれた肉が、約束の地の証拠となる。主イエスの十字架は御国の希望。
■16章1節~16節「荒野で聞く神の声」【連続講解】2017/7/2 ・神さまの約束の実現を待つことの困難さ。 ・荒野にて、失意のどん底で聞いた神さまの声、そのみことば。 ・ハガル、アブラム、モーセ、そして私たちも。約束の地を目指す荒野の旅路で御声を聞かせていただこう。
■17章1節~27節「全能の神」【連続講解】2017/7/9 ・神さまはみことばの約束を必ず守られることにおいて、全能のお方。 ・割礼は神の約束を思い出すしるしとなった。洗礼も、聖霊の満たしも御国の保証。 ・神の約束の成就を待つ日々は長く、疲れたりあきらめたりすることもある。しかし、アブラハムのようにみことばに応答するものでありたい。
■17章1節「シリーズ使徒信条③:全能の神を信ず」【使徒信条】2019/4/28 ・全能の神と神の約束について。全能という言葉には神の約束が前提にある(創世記17:1)。100歳と90歳で子どもが与えられたアブラハムとサラ。 ・全能の極みとしてのキリストの復活(ヨハネ20:26-29)。信じる者たちも同じように復活する(Ⅰコリント15:12-14)。 ・マリヤは全能なる神を信じた(ルカ1:38)。「私が」信じるというよりも、「神の言葉が」成りますようにと、主語を神の側に置いている。自分自身を手放すことで、神の全能の力を知ることが出来る(詩篇46:10)。 ・全能の神を信じ切れない自分でも、これを告白してよい。神が全能であるというみことばは必ず実現するのだから(イザヤ40:8)。
■18章1節~15節「主に不可能なことがあろうか」【連続講解】2017/7/16 ・日常生活におけるありきたりな場面で、実は神に出合っていたアブラハム。 ・主は戻ってこられるお方(使徒1:11)。 ・主の約束の言葉を信じられないことは多々あるが、アブラハムやサラのように、皮肉笑いを喜びの笑いに変えていただきながら歩もう。
■18章16節~33節「とりなす人」【連続講解】2017/7/23 ・ソドムとゴモラへのさばきをアブラハムに知らせるか、自問された主。私たち一人一人への最善を考えてくださるお方。 ・神との語らいの中で、飾らない内容に変えられていったアブラハムの祈り。 ・他の人のために祈る(とりなす)ことの大切さ。イエス様も私たちのために、今なおとりなしてくださっている(ローマ8:34)。
■19章1節~38節「神のあわれみ」【連続講解】2017/8/6 ・「主のあわれみにより」救い出されたロト(16節)。アブラハムのとりなしの祈りも覚えられていた(21節, 29節)。私たちの救いもそうだったはず。 ・ロトの妻のようにではなく、「目標を目指して一心に走る」ものでありたい(ピリピ3:13,14)。 ・ロトの娘たちの苦しみも救い主誕生のために用いられた(マタイ1:5、ルツはモアブ人)。ここにも神のあわれみがある。
■20章1節~18節「アブラハムの聖化」【連続講解】2017/8/13 ・繰り返されるアブラハムの弱さ。神の約束が実現するためにという理由をつけて自分の判断で動いてしまう。 ・同じ過ちを繰り返すアブラハムを見捨てず、共にいて守ってくださっていた主。 ・聖化とは、罪を犯さなくなること以上に、恵みによって神と共に歩み続けることであり、神との関係が深まること。
■21章1節〜7節「イサクの誕生~神のことばが成就する時」【連続講解】2017/8/27 ・神のことばを信頼する生き方を学んだサラ(詩篇119:71)。キリストに似たものとされる聖化の歩みを彼女も歩んだ(Iペテロ3:6)。 ・自分の体験をそのまま語ったサラの証し(6節、7節)。 ・世界の祝福の基となっていったアブラハムの子孫(創世記12:3)。あなたもそこに含まれる。この約束が成就する証拠こそ、イサクの誕生。
■21章8節〜21節「神の計画の進み方~二つの慰め」【連続講解】2017/9/3 ・神の計画は、同じ過ちを繰り返すような私たちの歩みに神の慰めが与えられながら表されていく。「契約はイサクを通して。しかしイシュマエルのことも心配せずに」との神の介入に、アブラハムがどれほど慰められたことか(12,13節)。 ・ハガルとイシュマエルにも神の慰めが明らかであった。神は彼らの嘆きを聞き、少年とともにおられた(17,20 節) ・「霊の子」イサクと「肉の子」イシュマエル。私たちは本来イシュマエルの側。しかし主イエスを信じて霊によって新しく生まれたことを再確認しよう(ヨハネ3:3)。
■21章22節~34節「日常と永遠と」【連続講解】2017/9/10 ・アビメレクと平和の契約を結んだアブラハム。裏表のない「真実な」言葉(マタイ5:37)。 ・機会を捉えて井戸のことを抗議したアブラハム。すべてのことには時がある(伝道者3:1)。 ・「永遠の神」と呼んで祈ったアブラハム(33節)。神さまはどんなお方かを意識して呼びかけることの大切さ。 ・日常生活の厄介なことを通しても、永遠の計画に思いを馳せる(創12:3b、マタイ5:13~16)。
■22章①「苦しみの先に~アブラハムの信仰」【連続講解】2017/9/24 ・神はアブラハムにご自身との関係を深めるための試練を課された。しかしアブラハムにはその意図は知らされておらず、理由のわからない苦難(1 節)。 ・アブラハムは約束を信じることを選び取った(3 節)。荒野の旅路では悩み苦しんだだろうが、そこで主の臨在に包まれていたはず(詩篇 63:1~3)。そして彼はイサクを「ささげた」(12 節)。 ・神ご自身が用意された「全焼のいけにえの羊」(8 節)は、やがて来る「神の小羊」のひな型であった(ヨハネ 1:29)。父なる神の苦しみに参与したアブラハムは神の友と呼ばれた(ヤコブ 2:23)。 ・私たちも主との関係を深めるための苦しみに直面する。その先で主と出会う。
■22章②「全焼のいけにえとして~アブラハムの応答」【連続講解】2017/10/1 ・全き献身の表明である全焼のいけにえを課されたことの意味は、心の中の偶像を手放すこと。アブラハムにとってイサクの存在が神以上になっていた。 ・愛するひとり子を手放すのは父なる神のあり方でもある(ヨハネ3:16)。アブラハムはそこに倣った(8節)。 ・少年のお弁当(ヨハネ6:9-14)、やもめの献金(ルカ21:1-4)のように神さまにささげる時、豊かな祝福を目の当たりにする(13,14節)。 ・地上のすべての人はイエス様の十字架と復活の福音によって祝福を受ける(18節、ガラテヤ3:16)。その恵みに入れられたものとして、私たちも、それぞれのところで神の民として、地の塩・世界の光であり続けたい(17節、マタイ5:13,14)。聖霊の助けを求めよう。