■1章1節〜22節「守り、用いてくださる神」2021/10/10 ・エステル記には「神」という言葉が出てこない。神さまの臨在のしるしである神殿からも遠く離れた人々。しかし、それでもここに神がおられて、人々を助けて用いてくださるという話。私たちのこともまた。 ・神の計画が表されていく場所神さまの計画は、世の中の出来事を通して行われていく。 ・なぜこの話が載っているのか。5章との対比。エステルが「呼ばれていないのに王の前に出た」ことがどれだけ危険だったかを強調。→「神さまは、ご自分の計画のために用いる人々を、どんなに危険な中でも守られる」というエステル記のテーマ。
■2章1節〜23節「出ていった先で出会う神の恵み」2021/10/17 ・エステルが二つの名前を持っていた理由。ペルシャ世界で働き生活していた証。 ・私たちの人生には思いもかけない出来事が起こる。神は「ダーバール」(言葉、出来事)を通して語られる。 ・神さまの導きを信じて出て行った先で、思いもかけない人から(神を知らない人であったとしても)届けられる神の「ヘセド」(恵み)。
■3章1節〜15節「たとえ、中途半端でも」2021/10/24 ・モルデカイがハマンに頭を下げなかった理由。神のご計画を軽く扱った過去の過ちを、自分は繰り返さないという決意。 ・モルデカイはどのような人物として描かれているか。決して不屈の信仰者ではない。内村鑑三の不敬事件もまた。 ・決して強い信仰者なわけではない私たちも、神が用いられる。
■4章1節〜17節「自分のなすべきことを」2021/10/31 ・モルデカイの嘆きは、自分たちの身の安全とともに、救い主の約束まで潰えてしまうからだったと思われる(ユダヤ人絶滅の法令は帝国中に発布されたから)。 ・モルデカイはエステルに伝え、命令し、エステルは法令を破って王に会いに行くと決め、断食を要請する。「自分たちがやらなくても、他から助けが起こされる」という妥協はなく、任されているタラントをきちんと用いている(マタイ25:14-30)。また、それぞれの役割を理解して任せている。
■5章1節〜14節「人を用いられる神」2021/11/7 ・エステルは王の前に出ても助かったが、そこでいきなりすべてを明かさずに段階を踏んだ。その間に起こった出来事も大切な伏線になっていく。彼女の慎重さを神が用いたということ。神は人の性格や行動を用いられる。 ・神は成長途上の私たちの行動も用いられる。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)
■6章1節〜14節「神の摂理」2021/11/14 ・ユダヤ人モルデカイに栄誉が与えられた大逆転は、神さまのタイミング(伝道者の書3:11)。 ・「摂理」の神学的な意味。予めの配慮、配剤。 ・すべてのこと「が」働いて益となる(ローマ8:28) ・私たちもまた誰かの何かのために用いられる(マタイの福音書14:14-16)
■7章1節〜10節「神の民の役割」2021/11/21 ・エステルは自分の命のこともユダヤ人の危機に含めた。神がご自分の計画を進めるために用いられる民の一員として自分を理解していた。 ・神の計画を阻止しようとしたハマンは柱にかけられた。神の計画・御心から的外れな「罪」は柱にかけられる。 ・キリストの十字架は私たちの肉を張り付けにした(ガラテヤ2:20、5:19-25)。今は聖霊によって、神の御心のために生きている私たち。
■8章1節〜17節「光の内を歩む神の民」2021/11/28 ・新しい法令を作ったモルデカイはまるで王のようだった。その日は「光の日」として喜ばれた(8:15-16)。 ・私たちの王キリストも、私たちを新しい法令で生かしてくださるお方(ローマ8:1-2)。この方が「世の光」として来られたことを喜ぶのがクリスマス(ヨハネ1:5)。
■9章1節〜10章3節「神の民の物語」2021/12/5 ・アダルの月の13日は、ユダヤ人にとって勝利の日となった。ハマンの残党など、最初の法令通りに襲ってくる輩も多かったが、撃退することができた。 ・戦闘の記録は、救い主の約束を人々が次世代に繋いでいった戦いの記録。(戦いの残酷さ自体が聖書のメインのメッセージではない) ・私たちも主の民。神さまがご自分の計画のために用いてくださる、主のしもべ。新しい法令に生かされている神の民。 ・ユダヤ人が「光の日」を喜んだように、私たちも「世の光」なるキリストの誕生を喜び、祝いたい。