■23篇「主は私の羊飼い」2020/2/16 ・主なる神さまは、私たち羊を守り、養い、導いてくださる羊飼いのような方。 ・緑豊かな牧草地ではなく、荒野の中只中で草と水を持って養ってくださる。 ・私たちの「たましい」(心)を生き返らせ、絶対に共にいてくださる。 ・鞭と杖を持って導かれる。 ・油を注いで歓迎し、聖霊で満たしてくださる。 ・何度でも主の家(主の臨在)の中に「住まう」(戻る)ことができる。

■34篇1節〜6節「神への礼拝」2020/9/27 ・「私はほめたたえる」という単語で始まる詩篇。ダビデが置かれていた状況(第一サムエル21:10〜22:2)。困難「の中でも」神への感謝を(第一テサロニケ5:18)。 ・周囲に礼拝を促すダビデ(3節)。 ・「主は答えてくださった」という先回りの確信(4節)。 ・「(主を仰ぎ見ると 彼らは)輝いた」。捕囚からの回復を喜ぶ輝き(イザヤ60:5)。 ・長くて暗い洞穴の中でも、「私はほめたたえる」と主への礼拝をささげよう。その時私たちは輝いている。キリストの光が私たちを照らす。

■103篇1節~5節「鷲のように新しく」2017/12/31 ・自らの「たましい」(感情)に向けて、主の良くしてくださったことを思い起こせと励ます歌。人のした悪ではなく(1コリ13:5)、主のしてくださった良いことを。 ・3節~5節はすべて救いの喜びに関するもの(咎の赦し、裁きとしての病のいやし、いのちの贖い、恵みとあわれみの冠、良いものでの満たし)。 ・「鷲の翼」は出エジプト(救い)のイメージ(出19:4-5)。主の救いのわざを忘れずに目の前の生活を歩む者は、決してたゆまず、疲れず、力を得て進むことができる(イザヤ40:31)。

■121篇「主は、あなたを守る方」2018/8/5 ・都上りの道中において、「山」とは荒野の山。牧歌的で平和な光景ではなく、山積みの問題の前に立ちすくむ私たち。 ・天地を造られた方が助けてくださるとの確信(詩篇104:1-9, 8:3,4)。 ・「足をよろけさせず」「イスラエルを守られる」。ヤコブの旅が重なる(創世記28:15)。ヤコブと共に歩んで下さった方は私たちとも歩んでくださる。 ・「行くにも帰るにも」。都上りの巡礼の旅の安全。私たちの聖日礼拝も、また礼拝としての日々の生活においても、主は私たちを守られる。感謝。

■126篇「歌いつつ歩まん」2019/8/11 ・祭り(礼拝)のために都へ上る人々が歌った、旅の歌(詩篇 120〜134 篇)。 ・主のなされことのゆえに喜ぶ人々と(1節〜2節)、声をあげて泣く人々と(エズラ3:11〜13)。礼拝の場にはどちらもいてよい。 ・「繁栄が元通りになる」のは「すでにといまだ」(1節、4節)。ネゲブの濁流のようにそれを求める祈り。 ・神の国の「すでにといまだ」の狭間で、みことばの種に自分が養われつつ(エレミヤ29:10〜11)、それを蒔きながら生きる(5節、6節)。

■130篇「神を待つ心」【アドヴェント】2019/12/1 ・深い淵、大水(詩篇69:2)の底にいて神との断絶を感じる私たち(1節、2節、イザヤ8:22)。しかし、神さまこそがこの断絶を悲しみ、「あなたはどこにいるのか」と私たちを探し続けていてくださる(イザヤ59:1,2、創世記3:8-10)。 ・神の赦しは「恐ろしいほどの恵み」(3節、4節、ルカ5:8、ヘブル10:19)。 ・主を待つとは、主の御言葉を待つこと(5節、6節、119:147-148、ヨハネ1:1-5)。 ・神の民に主の恵みを思い出させ、主を待つようにと励ます都上りの歌(7節、8節)。私たちも日々の暮らしの中で主の訪れを待ち、その御言葉を待ち望んでいたい。