■エレミヤ29:1〜11「神の物語、私の物語」【霊的成熟⑧】2026/3/15 ・預言者エレミヤは、偶像礼拝を悔い改めない南ユダに神のことばを語り続けた。耳を傾ける人がいない行き詰まりを知る人。 ・1節〜3節:手紙の背景。バビロン帝国による二回目の捕囚(B.C.597年)。エルサレムからバビロンへの使者に託された手紙。 ・4節:バビロン捕囚は神によるさばき(Ⅱ列王24:3-4)。 ・5節〜7節:置かれた場所で神の約束を待つ(25:11-12)。 ・8節〜9節:自分の願望に過ぎないものを信仰のことばで取り繕う「偽の預言」は他人事ではない。キリストの十字架の赦しの有り難さ。 ・そもそも、神のさばきは癒しと回復のため(エゼキエル18:30-32、エレミヤ24:4-7)。 ・10節「いつくしみの約束」:わたしの良いことば。神はすでに語ってくださっている(25:11-12等)。 ・11節:人格的な「知る」。文頭の「わたし」は強調形。 ・心の中だけでなく、すべてが守られる平安。シャロームの約束。 ・自分の物語がどれほど悲惨な場面にあろうとも、神の物語が同時進行で進んでいる。むしろそこに組み込まれているという希望。 ・11節「将来と希望を与える計画」:捕囚が70年で終わる希望の再確認。B.C.515エルサレム崩壊〜B.C.515神殿再建、足掛け70 年。完全数としての象徴的な意味も。 ・主よ、いつまでですかと祈っていい(詩篇13:1、35:17など)。と同時に、神の物語が進行中であることも忘れない。神とのことばのやりとりをあきらめない。 ・彼らが捕囚から帰ったように、私たちも罪と死の捕囚から解放された。キリストの十字架と復活。この方から目を離さない (ヘブル12:2)。人生の移り変わりではなく、この方に希望が ある。 ・「将来」とは究極的には終末の希望。語られた主のことばは変わらない(イザヤ40:8)。
■エレミヤ29:1〜15「その町のシャロームのために」【アドヴェント】2019/12/15 ・捕囚の民に宛てて、エルサレムから送られたエレミヤの手紙。捕囚は民をつくりかえるため神によってなされたものであり(4節、エゼキエル18:30-32)、その地でしっかり七十年を過ごすようにと励ました(25:11-12、24:4-7)。 ・神は、将来と希望を与える平安の計画を持っている。それは幸いな約束。七十年後に神殿は再建されるということ。 ・「将来と希望」は、終末(キリストの再臨)のことも包摂する表現。置かれた町の繁栄(シャローム)のために祈り仕えよとの励ましは(7節)、主の再臨を待つ私たちにも向けられている。
■29章10節〜14節「将来と希望を得させるシャローム」2021/6/27 ・神さまの「いつくしみの約束」=良いことば。すでに語られていて、主ご自身がそれをよく知っていてくださる確かなもの。私たちはそれを思い出すことができる。 ・どこまでも、どこまでも、私たちと共にいたいと思われる神。 ・究極の将来(復活、新天新地)もはるかに見据えつつ、今、ここでも神さまとともに生きていける平安。