■1章1節~17節「私たちの間に住まわれた神」【アドヴェント】2017/11/26 ・この系図は読む者にとって、主イエスが自分たちの間に住まわれたということの証し(ヨハネ1:14)。タマル(3節)は自己の存在を否定された女性。ルツ(5節)は貧しさと社会的な地位の低さに苦労した女性。ダビデは痛恨の罪を明記された(6節)。このような「都合の悪い」私たちの現実のただ中に主イエスは来てくださったということ。 ・この系図はアブラハム契約がどのように成就していったかの証し(創22:18、ガラテヤ:16)。私たちは「地のちりのように、空の星のように」、改め「地の塩として、世界の光として」世界の祝福のために召されている。タマルやルツのような自分の状況に愕然としても、だからこそインマヌエル(神は私たちと共におられる)と呼ばれる方がお生まれになったことの喜びを深く味わおう(マタイ28:20)。
■1章1節〜25節「神の計画の実現を待つ」2021/12/12 ・神の計画には長い期間がかかる。 ・2神の計画のために、一人一人の生活・人生が用いられる。 ・3信仰とは、神の計画の実現を待ち望むこと。 ・4神の計画の実現は聖霊により、思いもかけない方法でなされる。 ・アドヴェントはクリスマスを待ち望む期間であると同時に、主の再臨を待つ信仰を 新たにする期間。
■2章1節〜12節「福音の広がり」2019/12/29 ・星の出現から神の計画を悟って旅をしてきたマゴス(占星術師)たち。一方、エルサレムでみことばに触れていたユダヤ人たちは、誰もイエスを迎えなかった(ヨハネ1:9~12)。みことばを知っているという自負とおごりだけでは主イエスに会うことが出来ない。 ・みことば以外のところから導かれた博士たちだったが、主イエスと出会って変えられた。同じ道はもう戻らない(12節)。 ・主は思いがけないところにおられる。主を求める人たちも、思いがけないところから訪ねてくる。 ・福音は思いがけないところに、思いがけない方法で広がっていく(コロサイ1:6)。
■11章28節〜30節「イエスさまのもとで休む」2021/10/3 ・私たちは疲れている。 ・イエスさまのもとで休むことができる。 ・イエスさまと共に立ち上がることができる。
■27章45節〜50節「わが神、わが神」【受難週】2026/3/29 ・受難週にあたり、十字架と復活は切り離せない。復活の喜びを受け取るために、まず十字架を見つめ直す必要がある。 ・45節 この頃、十二時から三時まで全地が暗くなったという記録がある(フレゴンの著述をエウセビオスらが引用)。日食ではない(過越の祭りは満月の季節)。単なる自然現象ではなく、被造物全体が御子の死を悼む出来事として描かれている。 ・「わが神、わが神」(詩篇22篇)は、肉体的苦しみだけでなく、神との断絶という十字架の本質的苦しみを表している。十字架の道を受け取ったはずなのに(26:39-46)、苦しみの中で神に向かって「なぜ」とつぶやかずにはいられなかった主イエス。 ・47節 群衆は「エリヤを呼んでいる」と誤解し、救い主を前にしながら見物者であり続けた。そもそも、苦しみの中で神を呼ぶという発想がない。主が目の前におられても気づかない。 ・イエスは苦しみを避けず十字架を受け切り、ヨハネによれば「完了した」と叫ばれた(ヨハネ19:30)。詩篇22篇全体に通じる祈り。それは絶望ではなく希望へと開かれている(詩篇22:31)。 ・十字架は苦しみと呪いの出来事であると同時に、神が成し遂げられた救いの御業であり、私たち一人ひとりのための勝利の宣言。 ・イエスのように、つぶやきながらも神とのことばのやりとりをあきらめずにいたい。