・自らの務めに忠実に日々を過ごしていたザカリヤとエリサベツ。神の恵みに感謝して、神の約束を待ち望みつつ、主体的な応答として神さまを礼拝し続けていた(6節)。 ・御使いは旧約聖書最後の預言(救い主と、その道備えをする「エリヤ」の到来)の成就を告げた(17節)。ザカリヤは初め信じることが出来なかったが、妻と分かち合った(24節)。そこから救い主誕生の計画が動き出す。 ・普通の人の日常生活の中で、神の計画は大きく進む。また主は私たちの願いも気にかけていてくださる(14節、25節)。
・5節〜7節:祭司の家系を継がせる子がいない苦しみを覚えつつ、神の約束実現を待ち望んでいたザカリヤ夫妻。 ・8節〜9節:24の組に分けられた祭司が、年に一週間を二回、神殿で日々の奉仕に当たっていた(I歴代誌23,24章)。役割はくじで決められ、香をたく役は一番名誉とされた(同23:13)。生涯に一度の特別な礼拝。 ・13節〜17節:ザカリヤの願いは聞き入れられた。ザカリヤの願いは、単に子どもが与えられること以上に、その子がメシアの道備えをすることだったということ。 ・18節:しかし、今更子どもが与えられたとして、その願いが実現することを見ることはできない。その願いが実現することは信じられなかった。 ・19節〜20節:罰ではなく、神のことばの実現を信じるための期間に入るということ。神のことばを信じるために、他のものが削ぎ落とされる。神のことばの実現が約束されつつ、今は訓練期間を過ごすのは「神の国のすでにといまだ」と同様。 ・21節〜24節:神のことばを信頼して、自分たちの行動をそこに重ねた二人。 ・私たちも、神の国のすでにといまだを歩みながら、神のことばの実現を待つ。余計なものが削ぎ落とされるような経験もしながら、「はるか遠くにそれを見て喜び迎え」て歩む(ヘブル11:13)。
・5節〜7節:祭司の家系を継がせる子がいない苦しみを覚えつつ、神の約束実現を待ち望んでいたザカリヤ夫妻。 ・8節〜9節:祭司は24組に分けられ、組ごとに年に一週間を二回、神殿で日々の奉仕に当たっていた(I歴代誌23,24章)。香を炊く役割は生涯に一度、特別な礼拝。 13節〜17節:ザカリヤの願いは聞き入れられた。ザカリヤの真の願いは、単に子どもが与えられること以上に、その子がメシアの道備えをすることだったということ。 ・18節:しかし、今更子どもが与えられたとして、その願いが実現することを見ることはできない。その願いが実現することは信じられなかった。 ・19節〜20節:神のことばを信じるために、他のものが削ぎ落とされる訓練期間(ヘブル12:10-11)。神のことばの実現が約束されつつ、今は訓練期間を過ごすのは「神の国のすでにといまだ」と同様。 ・21節〜24節:神のことばを信頼して、自分たちの行動をそこに重ねた二人。 ・私たちも、神の国のすでにといまだを歩みながら、神のことばの実現を待つ。「私たちの思い煩いを知っていてくださる」主を信じ(Iペテロ5:7)、神の訓練期間を経 験しながら、「はるか遠くにそれを見て喜び迎え」て歩む(ヘブル11:13)。
・バプテスマのヨハネの父、ザカリヤ。律法の戒めと定めとを落ち度なく、つまり神の恵みに感謝し主体的な応答として神を礼拝し続けてきた夫婦。 ・12節:想定外の出来事に取り乱し、恐怖に襲われたザカリヤ。 ・13節〜17節:老齢の妻が男の子を産む、名をヨハネとつけよ、この子は多くのイスラエル人を神に立ち返らせる、彼はエリヤの霊と力で主に先立って歩む。マラキ書の預言。ザカリヤの苦しみを神は見ておられたとも。 ・18節:神の約束を疑い、救い主到来の知らせを信じることも喜ぶこともできない。自分の安全圏を守ろうとする態度。 ・20節〜22節:ザカリヤの沈黙。後悔と挫折感。23節:しかしエリサベツはみごもった。おそらく筆談で妻に何があったかを分かち合い、二人でそれを信じた結果。沈黙させられていなければ、不安について話し合うだけだったのでは。 ・信仰における「待つ」態度の重要性。彼らのように、神のみわざがあらわれる日を待とう。 ・57節〜62節:子どもが産まれてもザカリヤはまだ沈黙したまま。エリサベツはこの名前をしっかり決めていた。63節〜64節:ザカリヤの筆談により、御使いが告げた通りの名前が決定したときに沈黙の期間は終わった。ザカリヤの沈黙とその終わりは、これら一連のことが神によることの証しとなった。 ・旧約最後の預言者マラキの後、400年の「神の沈黙」がある。しかし、それを破ったのがクリスマスの出来事。ザカリヤの不信仰は、この「沈黙とその終わり」を表現するために用いられた。 ・今一度、神のことばの実現を待ち望もう。沈黙を課されるような、神が沈黙しておられるような日々の中で、彼らに倣って神を信頼し続けよう。ザカリヤとは「神が忘れてはおられない人」、エリサベツとは「わが神が誓われた」という意味の名前。彼らの後に続こう。
・想定外の不安な出来事に対しても「どうぞ、あなたのおことばどおり」と告白したマリヤ(38節)。 ・私たちの上にも聖霊が臨み、その力で覆ってくださる(使徒1:8)。 ・アドベントには再臨の主を待つという意味もある。聖霊に助けられながら、この時代にあってキリストを待ち続けていこう(激動の中にあるエルサレム~主の再臨の場所~を覚えつつ、その平和のために祈ろう。詩編122:6)。
・28節:「おめでとう」=「喜びなさい」。想定外の状況でも喜べるのは、主がともにおられるから(インマヌエル)。 ・30節〜33節:イエス=主は救い。待ち続けていた神の約束がこの方によって成就する。しかしそれは、未婚のマリアが身ごもるという方法で。マリアは神の計画に必要だった。 ・35節:聖霊の働きによる導き。私たちの考えや常識を超えてくるお方。 ・36節:神の取り扱いを受けた時の参考になる、兄弟姉妹の証。 ・37節:「神のことばに不可能なことは何もない」、神のことばは必ず成就する。 ・38節:あなたのおとこばどおり、この身になりますように(Let it be)。 ・私たちの上にも臨んでくださる聖霊(使徒1:8)。神のことばの実現を信じる=主の再臨を待つ人生は、聖霊が導いてくださる。神のことばそのものであるイエスさまがすでに来られたことは(ヨハネ1:5)、神のことばは信じるに足ることの保証。
・マリヤの賛歌(マニフィカート)には、主のことばは必ず成ることへの信頼がにじみ出ている(45 & 48節「しあわせ」。ヘブル11:1)。旧約の信仰者たちもそうだった(ヘブル11:13-16)。 ・ザカリヤの賛歌(ベネディクトゥス)は救い主の誕生を日の出の光にたとえ、私たちに平和の道を歩ませるものとして描写する(78~79節、イザヤ9:2)。 ・クリスマスは「お祝いして終わり」のイベントではない。みことばを信頼し、平和の道を行くことへの決意を新たに、聖霊の助けを求めつつ歩み続けよう。
・57節〜:子どもが生まれてもなお、口が開かれることを待ち続けたザカリヤ。神のことばは段階的に実現することも。「すでにといまだ」。 ・59節〜:子どもの名前は天使が告げたヨハネにすると決めていた二人。彼の名はヨハネと宣言した時に口が開いたザカリヤ。沈黙とその終わりは、しるしを求めたザカリヤへの答えであり、同時に人々への証だった。神の沈黙は終わり、神のことばであ る御子が来られる(ヨハネ1:1-5)。 ・ザカリヤが沈黙とその終わりを経験したことは、「神の沈黙とその終わり」を証ししている。私たちの不信仰が、神のみわざを証しするために用いられる。 ・67節〜:ザカリヤは聖霊に満たされ、神を祝福(賛美)することばで預言した。いよいよ救い主が来られること、その方は私たちを罪から救うお方であること、救われた者は、主がアブラハムに約束されたように(73節)、地の塩・世の光として生きること(創世記13:16、15:5、マタイ5:13-14)、これは人の熱心や努力によらず、神の深いあわれみによること。 ・78、79節:暁の光が私たちに訪れた。それは暗闇を照らすまことの光(ヨハネ1:9、イザヤ8:22、9:1)。
・57節〜:口が開くのはいつなのか。「これらのこと(20 節)」には、生まれた子が主の道備えをすることまで含まれる。葛藤しながらも待ち続けたザカリヤ。詩篇13:1 ・59節〜:子どもの名前は天使が告げたヨハネにすると決めていた二人。確かに生まれたこの子は、メシアの来臨と彼がその道備えをすることの証し。神のことばの「すでにといまだ」を信じた告白と共に訓練の期間が終わった。 ・沈黙とその終わりは、しるしを求めたザカリヤへの答えであり、同時に人々への証しだった。神の沈黙は終わり、神のことばである御子が来られる(ヨハネ1:1-5)。 ・霊的成熟においても、神のことばが自分の上にどう実現するのか、みことばの「すでにといまだ」を信頼して、「積極的な待ち方」の練習を一歩一歩。 ・ザカリヤが沈黙とその終わりを経験したことは、「神の沈黙とその終わり」を証ししている。不信仰が神のみわざを証しするために用いられる。