■1章5節~25節「神の計画が進む時~ザカリヤとエリサベツ~」【アドヴェント】2017/12/3 ・自らの務めに忠実に日々を過ごしていたザカリヤとエリサベツ。神の恵みに感謝して、神の約束を待ち望みつつ、主体的な応答として神さまを礼拝し続けていた(6節)。 ・御使いは旧約聖書最後の預言(救い主と、その道備えをする「エリヤ」の到来)の成就を告げた(17節)。ザカリヤは初め信じることが出来なかったが、妻と分かち合った(24節)。そこから救い主誕生の計画が動き出す。 ・普通の人の日常生活の中で、神の計画は大きく進む。また主は私たちの願いも気にかけていてくださる(14節、25節)。
■1章26節~38節「あなたのおことばどおり」【アドヴェント】2017/12/10 ・想定外の不安な出来事に対しても「どうぞ、あなたのおことばどおり」と告白したマリヤ(38節)。 ・私たちの上にも聖霊が臨み、その力で覆ってくださる(使徒1:8)。 ・アドベントには再臨の主を待つという意味もある。聖霊に助けられながら、この時代にあってキリストを待ち続けていこう(激動の中にあるエルサレム~主の再臨の場所~を覚えつつ、その平和のために祈ろう。詩編122:6)。
■1章39節~80節「クリスマスが教える生き方」【アドヴェント】2018/12/16 ・マリヤの賛歌(マニフィカート)には、主のことばは必ず成ることへの信頼がにじみ出ている(45 & 48節「しあわせ」。ヘブル11:1)。旧約の信仰者たちもそうだった(ヘブル11:13-16)。 ・ザカリヤの賛歌(ベネディクトゥス)は救い主の誕生を日の出の光にたとえ、私たちに平和の道を歩ませるものとして描写する(78~79節、イザヤ9:2)。 ・クリスマスは「お祝いして終わり」のイベントではない。みことばを信頼し、平和の道を行くことへの決意を新たに、聖霊の助けを求めつつ歩み続けよう。
■2章1節〜7節「必要を満たしてくださる神」2021/12/26 ・ヨセフとマリアには安心して出産できる場所がなかった。結果的に家畜が飼われている場所で出産し、生まれた子は亜麻布で包み、飼い葉桶に寝かせた。 ・しかし、羊の洞穴で生まれ、亜麻布の死装束を着せられたことは、人の罪の赦しの ためにささげられる神の子羊にふさわしいことであった。神は、救い主が生まれる のに一番ふさわしい場所をちゃんと用意していてくださった。 ・神さまはご自身の豊かさに従って私たちの必要を満たされる。それは人の願いを超 えている。今足りていないように見えても、神さまの視点では満たされているのか もしれない。 ・願いの通りに必要が満たされるということも多々ある。大胆に祈って求めてよい。 大切なことは、神さまが何をなさっているかを見ていくこと。新しい年もそのよう に歩みたい。
■2章1節~20節「世界で初めのクリスマス」【クリスマス】2017/12/24 ・居場所のない人々に届けられた良い知らせ。神の約束の成就(エレミヤ23:5,6、イザヤ53:4-6)。 ・神の小羊(ヨハネ1:29)として、生まれてすぐに「布に包まれた」みどりごイエス。死ぬために生まれた方。それは私たちが生きるため。 ・クリスマスはアブラハム契約の成就(ガラテヤ3:16、ルカ1:72-75)。私たちも世界の祝福のために仕える生き方に召されている。
■2章1節~20節「知らせを受けた者として」【クリスマス】2018/12/23 ・神ならぬものを神とする時代に、神格化された皇帝への礼拝用語を用いて、キリストこそ王の王であると宣言したルカ。2019年の日本もまた。 ・親戚の中に居場所のなかったヨセフとマリヤ。また、「3K」と呼ばれるような仕事をしていて社会の中に居場所のなかった羊飼いたち。しかし世界で最初のクリスマスはまず彼らに知らされた。 ・キリストの誕生は「アブラハムの子孫によって世界は祝福を受ける」という神の約束の成就(ガラ3:16)。そして神の民を通しても世界は祝福を受ける(創22:17,18)。地の塩・世界の光として、羊飼いらのように知らせを受けた者として、人々の中に出ていきましょう。
■15章11節~24節「シリーズ使徒信条④父なる神を信ず」【使徒信条】2019/5/26 ・父なる神は「対決してくださる方」(向き合ってくださる方)(ルカ15:12) ・父なる神は「待っていてくださる方」(イザヤ55:6-7 ・父なる神は「認めてくださる方」(承認してくださる方)(エペソ1:14、ローマ8:15-16) ・父なる神は「ひとり子をお与えになった方」(ヨハネ3:16)
■22章54節〜62節「イエス様のまなざし」【受難週】2019/4/14 ・信仰的万能感に満ち(22:33)、意気揚々と主に「従った」ものの(39節)、今ではこっそりと「ついていく」有様のペテロ。それでもついていったことが大事。 ・こっそり紛れ込み、内心戦っていたが、突然明るみに出されて「私はあの人を知らない」と、主イエスとの関係を否定してしまう。マイノリティ・コンプレックス、または全生活を通しての証の放棄。 ・戦いながらも結局三度否認してしまったペテロ。しかし主イエスのまなざしは、悔い改めのプロセスに導く(ただ泣くだけでなく、その後も弟子たちの交わりから離れなかったこと、その中で復活の主イエスと出会い、聖霊に満たされるというプロセス)。主は私たちの状態に関わらず共にいてくださり、導いてくださる(詩篇73:21-24)。
■23章33節~46節「共に死に、共に生きる十字架」【受難週】2018/3/25 ・自分は十字架にかかるほど悪くはないと思っていた一人目の犯罪人。「自分はそれほど悪くない」という思いは私たちのうちにもある。 ・対照的に、自分の罪を認めていた二人目の犯罪人。彼はイエスも同じ刑罰を受けている(=今ここに共にいてくださる)ことに気づいた。文字通り「キリストと共に十字架につけられた」状態(ガラテヤ2:20)。 ・キリストと共に十字架に死んだものは、キリストと共に復活の命にあずかる(ガラテヤ2:20)。「パラダイス」とはまさにそのこと。