■1章1節〜2節他「使徒信条⑥ひとり子の神を信ず」【使徒信条】2019/8/25 ・「ひとり子の神」(His only begotten Son)とは。 ・神の子は神。神と同質(ヨハネ14:9)。 ・神と同質なのはイエスだけ(マルコ9:7)。 ・「ひとり子としての栄光」とは(ヨハネ1:14)。

■1章1節〜2節,14節「ことばは人となって」2021/12/19 ・人の罪で、神さまと人の関係、人と人の関係、人と世界の関係は壊れてしまった。 ・しかし神は救い主の約束をくださり(創世記3:15、3:21)、ついに主イエスが来られた。 ・「神が人として来られた」ことが大切(ヨハネ1:14)。人の痛みをわかってくださる方(ヘブル4:15)。人として来られたからこそ十字架にかかって死に、だからこそ復活して私たちに新しいいのちを与えることができる。 ・神の計画とは、救い主を送ってあなたを救うこと。そして救われたあなた自身が回復しながら地の塩・世の光として世界に仕え、そうやって世界が回復していくこと。

■1章1節〜5節他「闇の中の光」【クリスマス】2019/12/22 (アドヴェントの振り返り) ・詩篇130篇・・・深い淵、明けない夜の暗闇の只中から、主を待つ、主のことばを待つ。 ・哀歌3:22−24・・・私たちには誠実さ(へセド)も真実(アーメン)もなかったが、主の恵み(へセド)と真実のゆえに、私たちは主の約束を待てる。 ・エレミヤ29:10−11・・・主の語られた幸いな約束を待つ。主の再臨を待ちつつ、今置かれている場所のシャロームのために祈り仕える。 ・ヨハネ1:1−5・・・ついに来られた光。この光が届かないところはない。私を照らし、あの人をも照らす。

■1章35節〜51節「シリーズ使徒信条⑤:主イエス・キリストを信ず」【使徒信条】2019/7/28 ・人々はイエスの教えに驚き(マタイ7:28-29)、その力を不思議に思い(8:27)、立ち去ってくれるように頼んだ(8:34)。 ・イエスは罪の赦しを宣言し(9:3)、自分を「わたしはある」という神の名で名乗られた(14:27、出3:14、マルコ14:62)。 ・「あなたはどなたですか?」と訪ねた弟子たちに、「来なさい。そうすればわかります」と、ご自身のもとにとどまるように招かれた主イエス(ヨハネ1:39,51)。 ・「主」(キュリオス)とは皇帝のことではなく、イエス様のこととの告白を新たにしたい。

■3章1節〜5節「ペンテコステ①水と聖霊による新生」【ペンテコステ・洗礼式】2022/6/5 ・「しるし」を話題にしたニコデモに対して、イエスさまは「新しく(上から)生まれる」ことと「神の国」について話された。それこそが大切なこと。 ・「水と御霊によって新しく生まれる」とは洗礼式のことではなく、聖霊による洗いのこと(テトス3:5-6)。神への捧げ物として聖めてくださるということ。 ・洗礼(バプテスマ)の意味は、水に沈められて古い自分が死に、水から出ることで新しいいのちで歩み出すことの象徴(ローマ6:4)。聖餐式と共に教会で守られる聖礼典。 ・洗礼を受けた後も、罪の残骸や古い自分に苦しむことはあるが、自分の罪は十字架の上で処分済みであること、自分は今復活の命を生きていることを何度でも思い出そう(Iペテロ2:24、ローマ6:11)。

■7章38節「ペンテコステに備えて①」【ペンテコステ】2022/5/22 ・聖霊は信仰の歩みを助けてくださる。 ・信仰は聖霊が与えてくださったもの(IIコリント12:3)。神さまの側に根拠があるから安心。 ・聖霊が私たちの内に住んでおられる(Iコリント6:19)。さらに「満たされ続けていく」ことが大切(エペソ5:18、ヨハネ7:38)。 ・クリスちゃんの成長とは立派になることではなく、自分の罪に気がつき、十字架への感謝が増していくこと(ヨハネ16:8、ピリピ2:6-9)。そこに聖霊が「実」を実らせてくださる(ガラテヤ5:22-24)。 ・「聖化」(IIコリント3:18)とは神になることではなく、主イエスと共に歩み続けること。どのように成長したかという結果ではなく、イエスさまと歩み続けることこそが大事。

■14章26節「ペンテコステ②生き方を教える聖霊」【ペンテコステ】2022/6/12 ・聖霊は、主イエスの語られた愛の教え(ヨハネ13:34)を思い起こさせてくださる助け主。思い起こさせるだけでなく、神の御心を行わせてくださる(エゼキエル34:27)。 ・ペンテコステ(50日目)とは、大麦の収穫を祝う「初穂の祭り」から数えて七週を終えた翌日に祝う「七週の祭り」のこと。小麦の収穫が祝われたの同時に、荒野で律法が与えられた記念日でもあった。神の民の生き方を教える律法の授与日に聖霊は来られたということ。聖霊もまた私たちに神の民の生き方を教えてくださる。

■20章11節〜18節「名を呼んでくださる方」【イースター】2017/4/16 ・「イエスが死んでくださった物語」で終わらず、復活されたイエスとともに生きていくことを求めよう(ガラテヤ2:20)。 ・私たちの名を呼ばれる方を、私たちの側からも呼び求めよう(創世記4:26)。

■20章19節〜23節「平安があなたがたにあるように」【イースター】2017/4/23 ・復活の主イエスは困難のただ中に来てくださる。そして語られるみことばは必ず実現する力あるもの。 ・赦しの福音を生きるという使命のために、主が私たちを遣わされる。 ・そのためには、聖霊を受けて新しい命で歩むことが必要。

■21章1節~14節「復活の主と出会う」【イースター】2018/4/1 ・信仰の原体験の場所ガリラヤで、イエス様とまた会えるという期待。しかしそこですぐには会えなかった(3節)。 ・いざ主イエスが声をかけても気が付けなかった弟子たち。普通の風景、普段の出来事の中で気付けなかった(4節)。 ・復活の主と出会うことの意味は①慰めと平安を得るため、②復活の確信を得るため、そして③人間をとる漁師としての召命の再確認のため。私たちもまた主と出会い、主の弟子としての生き方を再確認したい。

■21章15節〜17節「キリストの友として」【イースター】2019/4/21 ・主イエスはペテロに対して「アガペーの愛(無条件の愛)」を求められた。それは「互いに愛し合う」という新しい掟(ヨハネ13:34,35)。イエスを愛することと人々を愛することは表裏一体(マタイ25:40)。 ・ペテロは三回の否認で落ち込んでおり、主イエスの励ましに気付けない。主は責めておられるのではない。 ・三度目の問いかけが「フィレオーの愛(友情の愛)」で言われたのは、キリストの友として生きることが、ペテロの回復の道だったから。 ・私たちの努力ではなく、主の側で共にいてくださる(詩篇73:21-24)。キリストの友たりえない自分を嘆いて祈る時、聖霊が共に呻いていてくださる(ローマ8:25,26)。私たちはキリストの友として成長するように召されている。

■21章15節〜17節「キリストの友として」【集まっての礼拝再開の日に】2022/5/8 ・ペテロに対して「アガペー」(無条件の愛)を問われたイエスさまの真意は、「互いに愛し合う」ことを励ますことだった。 ・ペテロは自分の失敗を後悔するあまり、イエスさまの励ましも自分を責めているようにしか受け取れず、「アガパオー」に対して「フィレオー」(友情の愛)でしか答えられなかった。アガペーの愛は無理だけど、せめてあなたの友でありたいという叫び(詩篇 73:21-23)。 ・イエスさまの三度目の問いかけは「フィレオー」だった。ペテロを諦めて求めるレベルを落とされたのではなく、イエスの友であるということが、癒しと回復のまとめになるということ。あなたもキリストの友として召されている(ヨハネ15:15)。聖霊が私たちの成長に伴っていてくださる(ローマ 8:26)。