■1章1節〜2節「よく分かっていただきたい」【連続講解】2022/6/26 ・使徒の働きの講解説教を始める理由。私たちが「教会」として今一度歩み始めることを、神さまが励ましてくださっていると思うから。 ・「ルカの福音書」と「使徒の働き」は、両方ともルカによる。福音とは広く世界に伝えられていくものなのだという点と、弟子たち(教会)は主イエスの働きを継承しているという点を強調している。 ・「みことばに仕える者となった人たち」によって語り伝えられ(ルカ1:1)、あなたのところにも届いた福音(コロサイ1:6)が、確かなものであることを「よく分かっていただきたい」(ルカ1:4)というルカの熱意を受け取ろう。
■1章3節〜8節「聖霊の約束を待つ」【ペンテコステ】2017/5/28 ・聖霊に満たされ続けること、主の臨在に触れ続けること(Ⅰコリント3:16、6:19) ・失意の場所でこそ、聖霊の満たしを求める(4節)。 ・キリストの復活なしには自分は存在し得ないことがハッキリされ、身をもってキリストの復活を証するようになる(8節)。 ・ペンテコステを前に、心を新たに聖霊を求めよう!
■1章3節〜11節「イエス・キリストの昇天」【連続講解】2022/7/3 ・主イエスが話された三つのポイント ①ご自分が生きておられること(福音にとって一番大事なこと) ②神の国について(神の国のすでにといまだ) ③聖霊の約束(神の国の完成がいつかと気をもむ必要はない。しかし、聖霊に満たされなさい。) ・聖霊に満たされ、キリストの証人として「地の果て」まで福音を伝えるようになる。聖霊がそれをなさる。 ・主イエスは昇天され、また戻ってこられる(再臨)。その時を待ち望みながら、聖霊が私たちを用いてくださることを目の当たりにしていこう。
■1章12節〜15節a「祈り待ち望む」【連続講解】2022/7/10 ・いけにえの子羊を選別するベタニヤ村(ルカ24:50)を見下ろす、オリーブ山東側の斜面。 ・あの部屋で祈り始めた弟子たち。大きな喜びと共に宮でも(ルカ24:52-53)。 ・いろんなタイプの人々が集まっていた弟子たち。教会もまた。 ・120人。500人(Iコリント15:6)から減っていた。 ・待ち望む力。エリコの城壁(ヨシュア6 章) ・私たちは暴力が行き来する社会に、しかもそれらの暴力と無関係ではなく生きている。私たちの主は暴力を振るう権力者ではなく、「神の子羊」としてベタニヤから昇天された方。この方の御国を来らせたまえと祈るのが私たちの責任。弟子たちのように、ヨシュアたちのように、祈り続けたい。
■1章15節b〜26節「御霊による一致を求めつつ」【連続講解】2022/7/17 ・ペテロのことばは、ユダへの断罪ではない。自分も同じであることを自覚していたはず(マタイ27:3-5、26:75)。ユダも復活の主イエスに会えたらどんなによかっただろう(ヨハネ21:15-17)。 ・主イエスの「人の子(イエスさまのこと)を裏切るような人は、生まれてこない方がよかった」ということばも、ユダをかわいそうに思ってのことだった(マタイ26:24)。 ・あの人は罪人であり自分は違うとラベリングすることの怖さ。「キリスト教は他宗教とは違う」という安易なラベリングで自己批判がなくなることにも注意が必要。 ・使徒の欠けを埋める。キリスト復活の証人、教会の土台を整えた。イスラエル十二部族の数に合わせ、神の国の雛形としての役割を継承する。 ・くじを引くことには、神がすでに決めておられることを知っていくという意味がある(箴言16:33)。もっとも、ペンテコステの後にはくじの話は出てこない。祈りと聖霊の満たしの中で進むべき道が示されていく。 ・マッティアが選ばれたのは優劣の問題ではない。役割の違い。「ユストというヨセフ」にも役割があった。
■2章1節〜4節「確かに来られた聖霊」【連続講解】2022/7/24 ・「突然」現れた神の計画に乗り損ねずに参加していくためには、弟子たちのように祈りや礼拝を続けていくことが大切。それは祭り(礼拝)の時に起こった。 ・十字架の犠牲は「過越の祭り」(出エジプト12:21-24)、イエスさまの復活は「初穂の祭り」(Ⅰコリント15:20)、聖霊降臨は「七週の祭り」(律法付与の記念日)に起こっている。 ・聖書は暗号になっているわけではない。天地創造から新天新地にいたる大きな文脈の中に、救い主が来られるという約束、救い主が来られたという知らせ、そして合間を縫うようにして聖霊の約束とその実現の様子が描かれている。この内容の中に私たち自身が入れられているということ。神の計画は機械的にランダムに実現していくのではなく、プロセスがある。希望を持って待ち望むことが大切(伝道者3:11、詩篇103:1-5)。 ・風の音、炎は聖霊の象徴。神は私たちにわかるようにご自身を示される(ローマ1:20、Ⅰヨハネ1:1-2)。私たちのうちに聖霊がおられることも、確かなこと(Ⅰコリント3:16、6:19)。あいまいであるならば、今一度聖霊の満たしを求めよう。劇的な体験である必要はない。しかし、観念的なものではない。
■2章1節〜11節「聖霊に満たされて広がる神の国」【ペンテコステ】2017/6/4 ・聖霊は、律法が与えられた記念日に来られた。聖霊もまた神の民に生き方を教えてくださる方(エゼ36:27)。 ・風のような方、炎のような方、満たしの一つのあらわれである異言(2-4節)。 ・母国語で(心のひだに届くあり方で)迫ってくださる聖霊。 ・聖霊の満たしから広がっていく神の国(2:41)。
■2章17節~21節「終わりの日々に」【ペンテコステ】2018/5/13 ・イエスを信じるすべての人に聖霊が注がれる時代になったということ(17節a)。大胆に聖霊の満たしを求めよう。 ・ヨエルはイスラエルの回復を預言した。散らされ、力を失った人々に神の霊が注がれる(ヨエル2:28b)。「初めの雨」はペンテコステ、「後の雨」はやがてユダヤ人がイエスを主と告白する時の聖霊の傾注(2:23)。彼らがイエスを信じる時に再臨がある(マタイ23:39)。 ・ペンテコステは異邦人の教会の始まりとなった。 ・聖霊を受けた者は神のことばを預かり語る(18節b、預言)。この終わりの日々に主の再臨を待ちつつ、「主の名を呼ぶ」あり方を語りたい。
■4章12節「救いとは」2022/5/17 ・救いとは、人がもともと神さまから与えられた生き方を思い出すこと。 ・罪が赦されるためには、罪のない神の子の血が流されることが必要だった。 ・救われた者は、何度失敗して罪を犯しても、十字架による赦しを信じて新しい生き方へと進む。聖霊がそれを助けてくださる。 ・救いの根拠はイエスの名を呼ぶ(イエスを信じる)ことだけ。だから安心。