■15章3節~11節「我は信ず」【使徒信条】2019/2/24 ・使徒信条は信仰の内容を整理し、表明(告白)するもの(Ⅰコリ15:3-11)。初代教会の時代から。 ・「我は」:聖書は信仰者の共同体を神の民と呼ぶのであり、信仰の個人主義的な傾向には注意しつつ、信仰は神との一対一の関係。神の恵みに「あなたは」どう応答するのかという問い(ヨハ21:19-22、Ⅰコリ15:8-10)。 ・「信ず」:ヘブル語で「アーマン」(立つ)、「アーメン」(真実です)と同語(イザ7:9)。林の木々のように動揺する私たちへの励ましこそ、インマヌエル(神はわれらと共におられる)の約束(同7:1-14)。 ・ギリシャ語「ピスティス」にも信仰・真実の意味があり、「キリストの信実」というニュアンスがある(ロマ3:22、ガラ2:16)。信仰は私のものではなく、主イエスのものだということをわきまえつつ、この方についていこう(ヘブ12:2)。

■15章20節〜26節「死んで復活されたキリストを信ず」【使徒信条】2020/2/23 ・キリストが死なれたこと、よみがえられたことは福音の「もっとも大切なこと」(Iコリ15:3-8)。 ・イエスは確かに死なれ、墓に葬られ(ルカ23:33-38,44-55)、陰府(ハデス)にくだられた。 ・ハデスには義人が救い主の約束を待つ領域と、主を信じなかった者たちの領域がある(ルカ16:19-31)。主イエスはハデスにて、贖いのわざの完了を宣言され、昇天の際には旧約の義人たちを引き連れて上られた(エペソ4:8)。今は義とされたものたちはハデスではなく主のみもとへ行く(ピリピ1:23)。その宣言は信じなかった者たちへはさばきの宣言となる(第一ペテロ3:19←「みことばをのべられた」ではなく「宣言された」)。 ・キリストは「死とハデスの鍵」を持ち、その扉を開けた(黙示録1:18)。キリストは死から復活した。そして信じる私たちも後に続く(Iコリ15:20)。 ・やがての主の再臨の時に文字通りよみがえる(Iテサ4:14,16)。それまでは日々の生活の中で復活を経験する(Iコリ15:58)。