■4章13節~18節「天を見上げつつ」【召天者記念礼拝】2018/11/4 ・「眠った人々」のことを思って悲しみに沈む人々に向けて、パウロが語る「復活」の希望。 ・主イエスと同じように、信じる私たちも死者の中から復活する(16節)。死んだ後は主イエスの御許(天)に行くが(ピリ1:23)、そこが最終ゴールではなく、新しくされた地に身体を持って復活することになる(黙21:1,3)。 ・主イエスが再臨されるとき、死者は復活し、生き残っている者たちも一緒に一挙に天に引き上げられる(携挙。17節)。空中で主イエスをお迎えして一緒に降りてくると理解すれば、「天の御国が来る」という聖書の表現とも合致する(マタ6:10、黙21:2)。新しい天と新しい地が一つとなり、神の国が完成する(ハバ2:14、黙21:1-3)。※キリスト教終末論には解釈の幅がある。 ・大切なことは、復活の希望を確かに握り、それまで聖霊の助けの中で喜び、祈り、感謝しながら地上の生活を送っていくこと(16~20節、24節)。召された方々との再会を楽しみに天を見上げつつ、地に足をつけ、丁寧に日々生活していきましょう。

■5章16節〜18節「いつも喜んでいなさい」2020/10/4 ・困難の中にあったテサロニケの教会(使徒17:5-10a, 13)へ向けた、「いつも喜んでいなさい」の真意とは。 ・聖書は悲しみも大切にしている(マタイ5:4、ローマ12:15)。 ・人は「霊とたましいと体」でできている(1テサロニケ5:23)。「たましい」(プシュケー)は感情のこと。「霊」(プネウマ)は神に吹き込まれた息(創世記2:7)。感情的に喜べなくても、霊的には喜べる。 ・聖霊が私たちの霊に働きかけて与えてくださる喜び(ガラテヤ5:22)。私たちの内には聖霊がおられる(Ⅰコリント12:3)。私たちは神の民(エペソ1:14)。主イエスに似た者へとつくりかえられていく(エペソ3:16、Ⅱコリント3:17-18)。私たちを通して神の国が広がっていく(マタイ5:13-16)。 ・霊とたましいは明確に区分できな側面もある。つまり霊的な喜びは私たちの感情にも作用していく。 ・信仰が認められない世の中。同調圧力も大きい(使徒17:6-7)。しかし、なすべきことを丁寧に(1テサロニケ4:11-12)。私たちの内には聖霊がおられる!

■5章16節〜18節「絶えず祈りなさい」2020/10/11 ・祈りとは主の名を呼ぶことであり(創世記4:26、出3:14)、神との対話・神への応答(詩篇50:15、2サム7:27)。あらゆる願いを祈れる(エペソ6:18)。 ・祈りは聖霊の働きによる(ローマ8:15、26)。 ・霊の祈りと知性の祈り(1コリ14:15)。 ・「絶えず」の意味。 ・あらゆる状況の中から神の声を聞いていく(ローマ8:28)

■5章16節〜18節「すべてのことにおいて感謝しなさい」2020/10/18 ・「すべてのことについて」と「すべてのことにおいて」の違い。 ・「感謝」と「賛美・礼拝」の関係。 ・「感謝(ユーカリスティア)」=聖餐式の意味も。 ・あらゆる状況において、どんな状況にあっても、礼拝を捧げることへの励まし。